健康保健談話室  




 
 
 
 
   2019年 1月8日〜4月 肩関節周囲炎 (四十肩)
  半年以上前から左肩が前後上下運動で関節が痛みかけた。日常生活がヤットという位でなかなか
治らない。衣服の脱ぐのが一番つらく介助が必要だった。
 家内も同じ症状で友人の紹介で別の整形に一年以上かかっていたが注射、薬、注射薬の治療で
いっこうに効果上がらず通院中止。
 M整形はリハビリ中心で療法士の介助を受けながらの訓練だが一カ月余りでかなりの痛みもとれ
4月中頃には一時中断通院を止めた。(週間2回として約30回のリハビリ)
 2019.4.
   2017年 7月肺がんの疑いで精密検査
 6月24日「町ぐるみ検診」の結果 封書が到着、「これはおかしいぞ!?」
 案の定「肺がんの疑いあり」精密検査。専門医で。
 7月10日  CT撮影が出来る診療所予約。レントゲン写真では判らない箇所に15mmぐらいの突起物が写っている。
医療センター を紹介してもら予約を取ってもらう。
 (医療センターと言えば友人知人の入院のお見舞いに何度もも行かせてもらった。肺ガンではそこそこ有名みたい。)

 7月26日〜8月4日 いきなり診察はなく三日間にわたる検査、エコー、CT、MRI、ペット、検尿、検疸、血液など大きな病院の中を右往左往、さすが疲れた。二日目から副隊長に付き添いに来てもらった。

 8月23日 がん宣告と切除手術の覚悟。
 「必要のないものは取った方がいい」と手術を迫られたような気がした。
結論は「2、3ヶ月様子をみてからにして欲しい」とお願いしとりあえず手術は回避したが・・・。

10月6日 朝から事前の検査を済ませ午後の診察面談。
 前回を異なる治療方針を告げられる。「必要のない手術をして合併症などの問題を起こす恐れもあるので半年毎に検査し様子をみましょう」だった。

   やれやれとチョット不信感 が      
 2018. 2. 2  次回受診2月23日予定
   2015年 7月7日〜1月 (脊柱管狭窄症)
  腰痛の経験は何度もあるが足がシビル話は他人さまの事と思っていたが実際経験すると
痛くて歩けない。
ひどい時は100mの歩行ができない(座って車の運転は何ともない)。

 O整形へ友人を見舞ったついでに診察してもらう。整形で市内では少し有名だ。
レントゲン、MRI画像診察結果。異常なしの一点張り。
自分なりにいろいろ情報を集めたりした結果、諦めずに以前肉離れ(2004年)で診てもらった
桃井整形へ8月末から。ここが良かった。「三ヶ月で治る、治す」強い気持ちで。

リハビリは午後1時から予約なし、随意。待ち時間約10分もあればよし。
・ 腰の牽引  ・ 電気治療  ・ ウオーターベッド  ・体操マッサージ等10分〜20分。

約5ヶ月間で80回位通院、リハビリで今は完治を喜んでいる。

 
   2014年 9月5日 20年間続けた早朝ウォーキング中止
  以前から「尾てい骨」右上辺りが少し痛みを感じていたがメンバーが一人増えてペースがなかなか
合わず結局無理をせず長期3、4カ月、年内休むことを決め宣言した。

年内一杯キッチリと休んで「腰」の養生に努める。
  ■  2012年 7月 8日      体調最悪!! 不整脈 高血圧              
年末から約2ヶ月間 単なる「咳風邪」が一向に好転しない。夜半に咳き込んで寝ておれない。
寒くて苦しい夜をおくっていた。

そんな時聴診器を胸にあてた時「おかしいよ!、心電図をとろう」。

音を聞いていてもよく分かる。ピ・ピ・ピッピー、ピッピー、もうバラバラのテンポ。
静かに座っていている時でも心臓がパクパクしている。
ナント「半分以上不整脈ですよ、循環器の診察のときに先生に渡してください」

薬の副作用・・・咳の症状が和らいできたら手、足がかゆくてたまらない。カユイだけで診察してもらう。
「あぁ〜もう歳やなぁ。」
と思っているが先生は関係ないと言い切る。 



        



 ■ もう120座以上を数える山のぼり ■       2012年 1月26日
  歩き始めてからもう18年が過ぎた。

 足の故障は何度か経験しているが「痛さの感じ方」違うように思う。
  「歩きすぎ?」「歳の性?」「関節も軟骨も良く磨り減った事だろう」。

  靴は磨り減ると買い換えることが出来るが身体はそうは往かない!。
  歩く姿勢や脚の進め方や歩幅、スピードの工夫は歩き始めた頃にやって今も続けているつもりだが・・・

  初心に戻って再点検してみるか!!

 
■ 平常どおり健康運転走行中

 
 タバコ、止めました。

 今ではあの匂い苦手です。

 ニコチンの臭いがくさいんです。

 大ぃ嫌い。

 嫌味っぽく言われていた言葉よく分かります。

 生意気言うようですが。
 
 こんな言葉で止めた事を話します。

 「タバコが好きなあいだは禁煙してもなかなか止めれない。惰性と癖ですってるだけ!」

 「うまいと感じなくなったら直ぐに止めれたよ」

 「無理に止めろとは言いません、嫌いになったら止めてしまいます」

 でも時々タバコを吸ってる夢をみます。
 「なんで吸っとる!」
 「何時から吸っとる!?」と自問して目覚めること今でも。

 でも今ではタバコがなんぼしてるか分かりません。
                                                                                               2007.10.16
   ■ あれから一年過ぎて ■   2006年11月15日 
  二ヶ月に一回の診察と薬も三分の一程度に減らして処方してもらっている。
 本当は通院と薬、止めてO.Kっていわれてました。半年足らずで病院と縁が切れて結構なことだが
 もう暫く誰かに、何かに頼っていたい気持ち。

  あれから一年。その間『山行き』、7度。山に行っている方が調子がよいように感じる。
 事実、山に行ってる間はストレスがゼロ。それもその筈、普段のストレスは『急性心筋梗塞』の元です。
(ほんと!?)

  あれから一年。 タバコ止めて一年、体重5k増。呼吸器と当然循環器も体調も良好。しかし↓でも
書いている通り 心臓をとり 巻く血管の4.5箇所にストローが凹んだようなのがあったもが心配だ。
だから血液サラサラの薬やめれない。

  『あぁあ、こんな筈ではなかったのに・・・』、人一倍元気で、体調に気をかけていたのに・・・
 なんであんなことなるんや。 失意というほどでもないが落胆したのは事実だが、おかげ様でという
ことであれば日頃の 体力づくりは無駄ではなかったのかな。





        



  2006年5月16.17.18日  結果、良好!! カテーテル検査入院
06. 5月8日 
  カテーテル検査入院の前に「シンチ検査」を行い、5月16日〜18日、二泊三日の退院後半年の検査を
受けることにした。
 以前と変わらない生活リズムで過ごしている。しかし自分の体の変化についてはかなり神経を使うよう
になった。
  
負荷心筋シンチの検査は心電図をとりながらエアロバイクを漕いで心臓の血流を調べる(約10分間
程度)。
  次に等身大の機会の下にあお向けになって心臓の写真?かスキャンするのだろう。技師に聞いて
みるとレントゲンは 放射能を当てて写真を撮るがその反対と思ってもらったら分かりやすいかなと説明。
 
* 5月16.17.18日  (二泊三日 検査入院)主にカテーテル検査
 入院の手続き完了後、半年振りに3階の病室へ案内された。
 
* 「二度目と3日間」の短期と言うことで「単行本」を持って入院した。(ホリエモンが「山に登りたく
なった」という本
) この本から、山に行きたい気持ちになったとは、不思議だなぁと思いながら
読み終わって退院。テレビ視聴カードは 買わなかった

* 入院初日 レントゲン、心電図、動脈硬化、両手足首の血圧検査、血液検査等午前中は忙しかった。
 午後からは翌昼の点滴までほとんど本を読んで過ごす。夜も8時過ぎには就寝。

* カテ検査当日 朝からちょっと緊張する。右腕の動脈を切ってカテーテルを入れるが痛くも痒くも
ないが想像するだけ で少々気持ち悪い。動脈から噴出す血液が腕を伝って肘に流れ落ちるあの
温度差が・・・。
 約20分で検査はすぐに終わった。

  痛いのは
止血バンドのときだ。前回を思い出すと苦痛だったが、今回は1時間で半分に緩めその
後又30分で半分 に緩め最後は止血バンドが取れない程度の25ccで約6時間でバンドを取る。
本当に楽ちんだった。

* 19時頃検査結果の説明が担当M.K医師より説明あり。術後の経過はうまく回復している、
詰まっていた.
 毛細血管も少しずつ血流も回復が見られるとのこと。又、梗塞を起こした影もはっきりとあるし、
冠状動脈の 4〜5箇所で血管が詰まりかけている(ストローが折れているような状態)のもハッキリ
と確認できる。
 詰まるかも分からないし詰まらないかも分からない、 我々の年齢になると皆持っているとの事、
やっぱりもう少し大事に しなければいけない。

* 浅海の狭窄箇所に入れていた
「ステントもハッキリ分かる。
 
太さ3mmあまりで、長さは24mm位のステントといっていた。意外と太くて長いもガと思った。
 これも詰まることが有る。詰まってバイパス手術をした人も聞いている。

* 概ね順調回復と一安心するとともに、今後の健康管理に付いての意識高揚喚起にも努めな
ければならない。
 あのアルプスの山頂に立つ喜びを味わうためにも!!。


*本当に又簡単に 『タバコ止めれたよ!』
 吸う元気がなくなったと言ってるが他人のタバコの匂いが臭くて仕様がない・・・。
検 査 結 果  合 格!



        


・・・ これで タ バ コ やめました・・・   
                    心臓が痛い、何でやねん!?おさまらない、痛みが続く・・・

毎朝、起きざま、薬を飲むようにグラス一杯、水を飲む。
毎朝、一時間余り歩く。
毎朝、薬のように300ccの水に黒酢を少々入れて飲む。
血液サラサラ?、血圧も正常、なんで?

毎朝、タバコを吸っていた、早起きした分だけ本数も多い。
ここ数年「美味しいぁ」と思って吸うタバコが一本なかった。
それでも止められなかった。

2005.9月末、穂高連峰縦走したらタバコをやめよう。(無理でした)

    激 痛

12日土曜日22時、某TV局、スポーツニュースを見ていると心臓の辺りが痛くなった。
胸の痛みがなかなか治まらない。もう15分以上痛い、刺しこむように痛い。
前回の痛みより長い、長過ぎる。もうダメだ、いま治まっても又いつか痛みが来る、夜中
かも、朝かも。明日は日曜だ!。

 救急車の要請
どれほど待ったか分からない、案外早く到着!。ストレッチャーに横たわる姿ナント
情けない。とにかく心臓が痛い。   

    前 兆 入院前々日
 10日の朝、早朝の6時前ウォーキング中に胸が痛くなるが2.3分で治まる。
(何ヶ月も前にも何度か痛みがあった)

 入院前日
 11日朝5時過ぎウォーキングスタートして10分後ぐらいに又しても痛くなってきた。
今日は痛みもキツイ、それにまだこの寒いのに汗を一杯かいている。
友達に「心筋梗塞みたい、ここから帰る」。何とか送ってもらいながら歩いて家に着く。
救急車も考えていたが痛みが治まった。今日は午前午後とお客様二人と約束している。
緊急入院だけは困ると思っていた。
その夜又痛くなりだした。朝ほどではなかったが痛みが止んだ。明日にでも行こう、
でも土曜は休みだし月曜日に行くか!?

 当日朝
 さすがに歩く気分にはなれない。大事をとった。
然しいつもと同じように目が覚めて布団から出てテレビをつける。この間胸は痛くならず
におとなしくしていた。

 もっと前…心臓の痛みは今まで全然感じた事はなかった。激しい運動しても急登な
山道も、心拍数120位に上げてもナントも無く心地良い汗と思っていたぐらい。

    救急車  ストレッチャーの上で救急隊員に『胸が痛い。T記念病院へ行くよう』お願いする。
なかなか出発しないし、到着もしない、時間が経つ、痛みは治まらない。
夜ならば15分か20分あれば到着するのに・・・。
「どのくらい痛い?」「8位痛い」「7位に戻った」の会話、何度も何度も繰り返す。

    到 着

検査室
 救急車中も寒かったが検査室も寒かった、胸の痛みもまだ続く。
何がどうだと聞く余裕、理解する余裕もなく、一階から二階の手術室へ行ってるのがよく
分かった。 詰まっているところをカテーテルを入れて拡げてくれるんだ!手首か足の付
け根の血管を切るのが痛いと聞いているが・・・そんな事、言っておれない。
これ位の知識を持っていたが『いざ、手術室へ』となると不安で一杯。

    手術開始  検査室から二階の薄暗い手術室へ
 緊急手術だ!ストレッチャーから手術台に乗せかえられる。そして手術着に着せ替え
られ、医師たちの意味不明の会話。右手首に麻酔注射するとの言葉にはっきりと同意の
返事、もう点滴も右手から始まっている。胸には心電図用の電極が何本も付けてある。
 『あっ、右手首から肘に生暖かい血液が流れている』いよいよ始まったぞ!。
意識も感覚もはっきりしている、モニターも良く見えている。が・・・心臓の痛みと手術の恐
怖で体も硬たまり、モニター注視とはいかない。
 右手手首から心臓につながる動脈にカテーテルがどんどん入れられていく。右肩あたり
まではよく分かる、胸部あたりもどんどん通り過ぎて入っていく、痛みもない。だがモニタ
ーから目を離す。

 『血管造影剤を入れます、少し熱いですよ』本当に熱い、熱湯を掛けられたように一瞬
だが熱かった。
医師の説明あって『冠動脈が三本あってその内の一本が詰まっている。その詰まって
いる場所が悪い。
入口が詰まっている。それ以降の末端組織まで血管に血液が通わない。
これが壊死です』(この時もまだ痛い、痛いと訴えていた.子供のように!?)

 『塞がっている血管をひろげる処置をします。』『お願いします』
怖くて目を閉じていたがそんなに状況の変化はなかった。 右足首よりカテーテルの挿入
し梗塞している部分でバルーンを膨らし血管を拡げる。
これが痛いと聞いている。どうやら足の付け根は切らなくて済んだようだ。

 狭窄している冠状動脈はうまく拡がったようだ。その近くの(毛細)血管、うまく拡がら
ないと言うような会話を覚えている。(未だ痛い)

 『手首が少しゴツゴツするよ』何か血管の中を少し大きなものが通っていくのが感じら
れる。
先生が何かを言ったが良く聞こえない。「ステント」の挿入である。
 ステントとは金属のメッシュのパイプの事で一度入れたら取り出さないで一生付き合う
そうです。

 挿入時の痛みは全然感じないが心臓はやっぱり痛いのが止まらない。その事を先生
に訴えると『朝には止まるよ』。どうやらこの痛みは別のものらしい。自分ではうまく拡げる
ことの出来なかった血管の性だ!とこの手術、失敗のまま放置するのか気がかりで手術
室を出ても訴え続けた、答えは勿論同じ。別の痛み。

 手術中のこと、全て記憶に有るわけではない。怖くて目を閉じている間に浅い眠りに
おちていることもしばしば。
手術室もそんなに明るくもない、むしろ暗いほうだ。(照明をあてて局部を処置すのと違い
むしろモニタ画面を見ながらの処置の為)

    手術終了   あぁよかった、助かった、生還したぞ!。
手首の止血も終わり手術台から降ろされ『これでタバコを止めたら山にも行けるぞ!』
先生が言ってくれた。やっと笑顔の我にかえり素直に『先生タバコ止めるわ!』

 何時間ほど経ったのか分からないがこれだけの手術が短時間で簡単に終わることは
ない。
私の為に5.6人のスタッフの賢明な処置、チームプレーで無事生還できました。

 又、家族もずっと廊下の寒い所で手術を見守ってくれてたらしい。
これもまた感謝感謝。

    集中
治療室

ICU
 ストレッチャーからベッドに移し替えられ、身動きの取れない状態でいよいよ入院生
活が始まる。
酸素吸入、左腕点滴、胸には心電図の電極、片方の指先にも三本何かがはり付
いている。

 小さい頃、若い時から元気者、体育会系でならしたが、これが現実の姿だ!。
 家族、特に息子から見れば『親父が瀕死の病人』としか見えなかったのだろうなぁ?!
事実、声が出ない。一寸情けないがこれも事実。

 一日目の昼、初めての病院食。全然食欲なし、術後の食事は特別なものらしいが味
薄くなお食べれない。日頃好き嫌いなく何でも食べれるのに塩分7%には参った。
が・・・三日が過ぎて四日目辺りになると慣れてきて食事は全部食べれるし、その時間が
待ち遠しい。

 ICUは一人部屋、室内は天井しか見るものがない。窓から見えるビル屋上、広告しか
目に入らない。退屈の時である。
 突然の入院で一人で仕事をしている者には気がかりだ!!当然、病室内、病院内で
は携帯電話の禁止となっている。必要な時は婦長さんの許可を得て病院の電話子機を
借りることが出来る。よく借りました。
ありがとう、すみませんでした。

 手術をして下さった担当の「喜納先生」の回診がある。「どうですか?」「特に有りませ
んが」「先生今月一杯も入院できません、二週間位で退院させて欲しいんですが・・・」返
事なし「特に今月の末には土地取引の契約、決済が5件ほど有るんですよ、買ってくれる
人、買ってもらう人には迷惑掛けれないので何とかお願いします」
返事はない、ICUを出て様子を見ないと分からない様だ。

  「今日、午後3時に引越しします」ICUのスタッフ。
総てなんでもお世話になっていて感謝しなければいけないのにトイレの世話だけは実際
苦痛だった。やっと一般病室にかわれるぞう!

    病  室  一人っきりでいたICUから車椅子に乗って307号室に移動。
僅か5日間歩行禁止でベッドの上にいると、情けないが立てない、勿論歩けない足が前
に出ない。(年間2000kは歩いていてるのに!)

 生活時間 朝食8:00 昼食12:00 夕食18:00 消灯22:00
  入浴は月、水、金(男)朝から。
 もうすっかり回復、食事も美味しい、待ち遠しい。順調、順調!そんな気がする。
 ちょっと心臓に負荷を掛けてみたい、がちょっと怖い。

 毎朝検温、血圧測定に採血。もう針を刺す場所がない、右手が痛い。

 四人部屋(しにん部屋?)ヘンな感じ
 心筋梗塞、心不全、不整脈、二回目、入院手術、糖尿の合併症みなさん大変だ。
 私なんか大したことないと思った。すごい手術をした人もいる。

 退院前日(25日)
  いよいよ明日退院だがその前にカテーテル検査の結果次第。
手術同様、右手首の動脈を切って入れる。怖い、緊張する。勿論麻酔もするが・・・
15時の予定が急患などで大幅に遅れ緊張時間が長くなる。結果O.K。

 動脈の止血は6時間、押さえて圧迫、手が痺れて痛い。あまりの痛さに看護婦さんを
何度も呼んで圧力を下げてもらった。

 この日担当の看護婦さん、そんなに若過ぎはしないけど自信のない処置や言動には
参った。素直に「ごめんね」が言えるんだけど、逆効果!

    退 院

11.26
 いつもと同じように目覚め顔を洗い歯を磨く、そして朝食すませて談話室。
いつものメンバーが退院を喜んでくれる。
土曜日で支払いも出来ないのに退院できることも知った。
家族の迎えが来るまで患者仲間と別れを惜しむように会話が弾む。  

    通 院1

05.12.14
 初めて通院  2005.12.14
 時間指定で受付済ませた。同じ先生の診察のため旧友が一人二人と姿を見せる。
結構待ち時間があったので退屈せずに話あう。(殆ど10歳以上)
勿論レントゲン、血液検査ともに異常なし。

 右に心臓はないのに胸が痛いとまだ完治していないのかと不安がる。
 再入院、再発に神経質になっている。

    通 院2

06.1.11
 診察室に入るなり「体調ええやろ!」と先生が声をかけてくれた。
 血液検査、データーを見る限りほぼ満点に近い。ウォーキングも山行きもO.K。


 
心筋梗塞と納豆・・・「納豆、食べたらあかんで!!?」と二人から教えてもらった。
このことを先生に尋ねた。薬によっては効果が得られないことがある。
その薬は
ワ-ファリン?(バッファリンじゃない)。幸い私の場合は服用していない。

 
準備・・・春からウォーキングと夏山登山の準備のため、ボツボツ準備を始めようと
思い始めた。この時期は近くの野山でトレーニングを・・・その為おニューの靴も先週
注文しておいた。(登山用)



通 院

06.4.5

 すっかり以前の生活に戻ったようだ!!
 もう山行き三回も樹氷も雪山も花畑も結構楽しんでいる。

 元気になったのは良いのだが食生活、もう少し気をつけよう。
 今まで通りの生活は出来て結構なことだが食べ物は今まで良く
 食べてた物は控え、食べれなかったものを多く摂るようにしよう!!

 退院後六ヶ月経過したので5/16検査入院が決まった。(二泊予定)
 今日から薬の3種類も減ってきた。自分でコントロールしなさい
 と言うことだろうか!!? 
   
    
心臓に栄養と酸素を補給している冠動脈が急に詰まり、血流がその先に流れないことから、心臓の
  一部の筋肉が死んでしまう(壊死)病気で、急死することもあります。


    心臓のポンプ機能が弱くなって体が要求する血液を送り出せない状態を心不全といいます。
    心臓弁膜症や高血圧、冠状動脈硬化、心筋梗塞、などあらゆる心臓疾患が最終的に至る
   症候群を意味します。
    心不全の症状には呼吸困難、咳、痰の増加、足のムクミなどがある。

   
    冠動脈の血流が不足することによって、心筋が酸素不足に陥ります。
    そのために生ずる痛みが「狭心症の痛み」です。狭心症のもともとの原因は多くの場合、
   動脈硬化です。


    高脂血症というのは、血液中のコレステロールや中性脂肪等が、多い状態で放っておくとさまざまな
   合併症が出現しますよ!。
    動脈硬化が進み狭心症、
心筋梗塞、大動脈瘤、眼底や腎臓障害などが起こりやすくなります。

   食べすぎ・飲みすぎ、コレステロールの多い食品に注意!
  POINT 1 油料理は1日2品   2 肉より魚   3 食物繊維は心強い味方   4 タバコ 
  禁煙にトライ! 
       
   






        









・・・肉離れ・・・初めての経験・・・(2004. 3. 8)

この日もいつもの通り朝1時間余り歩いた。お客様と土地を見に現地へ。高さ50cm位の
ほんの緩やかな斜面での事。 「ブチッ」右足ふくらはぎに激痛、その場でひっくり返る。
一年に300日、約2000kも歩いているのにこんなこともあるんだ。情けない思いをした。

・・・筋膜炎・・・歩き初めて1.2年の頃
踵(かかと)に激痛  踵の肉と骨の間に炎症を起こしているとのこと。
   肉離れの処置
安 静
 患部は安静にし、動かさない事!。無理して続行すると損傷部は一層悪化するこ
とになる。
氷 冷
 氷冷は血管を収縮させ、出血を抑えると同時に疼痛も緩和する。
 受傷部位にタオルなどをかぶせ、その上に氷をビニール袋に入れて乗せる。
 皮膚を傷めることがあるので、氷は直接皮膚に当てないほうがよい。
圧 迫
 弾力包帯などでやや強めに巻き、圧迫をする。つい血行障害が怖くて弱めになり
やすいがこれでは圧迫の意味がない。
強く巻きすぎて血行が妨げられた場合またすぐに巻き直す必要がある。





        







   
   「ウォーキング」を始めるきっかけでした


尿道結石とは腎臓や膀胱でつくられた結石が、尿道の途中にとどまってしまう病気である。
腎臓、尿管、膀胱、尿道などの尿路に結石ができる病気を総称して尿路結石と呼ぶ。
そのうち、膀胱結石・尿道結石の場合、排尿時に痛みがおこる。
また、女性に尿道結石が起こることは少なく男性がほとんどである。

2006年1月回想録

激痛  日曜、大山に登った翌日だ。
月曜日の夜明け頃、下腹部が痛い。下痢の症状かなとトイレに走る、痛みは治まらない
、尿は麦茶の濃い煮詰まった赤とも茶色とも言えない色だ。何かの病気におかされたの
だろうか?
とにかく痛くて痛くて脂汗が出る。立ってても座ってもどの姿勢も楽な姿勢はない、ただう
なっているだけ。

 救急車のお世話にもと思ったが「早朝である事、大そう過ぎる」との思いから女房の
運転で「夜間救急センター」まで行く。(車中座席で転げ回る。)
下腹部の激痛を訴えると即検尿、即診断「結石」である。
ここでは応急治療しか出来ないので痛み止めの注射に座薬を貰う。泌尿器科の病院へ
行くように言われて帰宅する。(7:00)この時点でもまだ痛みはおさまらない。

前兆  何もなし。突然。
  強いて言えば「尿酸値」が少し高めであった。

通院  診察を受ける待ち時間、服用した薬の性で痛みはなし。しかし外来の患者は下腹部
を押さえて顔は真っ青である。2.3時間前の自分を見ているようである。
診察台に乗ってレントゲンを撮影。小豆、大の結石がある、しかも金平糖状で始末が悪
い動くたびに向きが変わったら大変だ、痛くてしょうがない。

 「薬で結石、溶かしますか?」即座に答えた。
「先生、夕方入院、朝退院出来る***さんの様に鉄砲で潰して欲しいんです」
「***さんの石は有名で名石だから・・・夕方5時ごろに入院してください。」と言われて仕
事に戻る。

入院

手術
 という訳で夕方入院である。勿論入院なんてはじめてである。
入院手術、治療を急いだのには勝手な事情があった。

 病院に着くと直ぐに2階手術室へ直行。と言う感じで直ぐ手術着に着替えると便座の
ような上に横たわったように思う。
 鉄砲を撃つというのは「衝撃波破砕手術」のことらしい。何発打つのか数えていた記憶
があり、確か、2,200発位打ったと思う。
そんなに痛くもなかったし、割合短時間で終了したと覚えている。
「綺麗に取れましたよ、後はこの粉々になった石を尿と一緒に出します」と言って病室へ
入る。ヤカンに麦茶?を3リッターか4リッター、夜の間に飲んでします。
尿は全部コップに採尿します。

 診察時間前の朝、レントゲン検査、採尿の排出量等の結果O.K。退院してくださいの
声にヤレヤレ、大成功!。

退院  荷物らしい荷物もなく、直ぐ退院準備して受付へ。
前もって聞いていた金額を準備、支払おうとすると、院長先生の声は聞こえる。
「石は簡単にとれたから**円でいいよ」計算していた請求額の半額であった。 
過剰不正請求の多い中めずらしい先生だな!?ちょうっと嬉しくなるってきた。

 退院半年後、検査通院したがもう石は溜まっていなかった。

 この病気、遺伝するのでしょうか?息子が2001年頃同じ手術を受ける。

 半額なら小使いが出来たぞう!! 
勝手な事情とは「北海道」行きの予約が出来て「航空券が手元に着いたところだった。」

  ウォーキング開始する  

  結石にならない対策。

 * 水分を良く取る。(お茶でもビールでも勝手に拡大解釈。)
 * そして歩くことに尽きる。



        

















朝晩ウォーキングのメリット

2004.3.3
心肺機能の維持、強化、生活習慣病の予防、ダイエットなどの目的で
日常の生活の中に歩くことを心がけている人々が増えてきました。

  朝のウォーキング
朝のウォーキングは目覚めたカラダにすがすがしい空気を取り入れ、快適な一日をはじ
めることができます。
しかしカラダは完全に起きていない状態なので、はじめはゆっくりめのペースを心がけま
しょう。
起床直後は低血糖状態なので何も食べずに歩くと体に逆効果です。
必ず水を飲み、少量の炭水化物を食べてからスタートしましょう。
  晩のウォーキング
夕食前のウォーキングは脂肪が燃えやすく食べ過ぎを抑えるので特にダイエットの方
におすすめです。
夕食後のウォーキングは摂取カロリーが皮下脂肪に蓄えにくくなります。
夜間のウォーキングは心地よい疲労で快適な睡眠が取れるため、健康的な生活習慣
が身につきます。